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 お笑い芸人は、芸のとおりちゃらんぽらん? いえいえ、苦労しています。話題のお笑い芸人が、挫折、苦悩、将来への不安など、自らの半生を語ります。今回は「ごめんねごめんね~」のU字工事が登場! 遊びで始めた漫才が、本気になるまでに迫ります。【バックナンバーはこちら】



M-1グランプリ決勝進出でブレイク! ごめんねごめんね~U字工事登場!

 U字工事。福田薫と益子卓郎、栃木出身の2人による漫才コンビだ。M-1グランプリ2008で、見事決勝進出を果たし、ブレイクする。それから1年。一気に人気に火がつき、テレビに営業にひっぱりだこで、息つくひまもなかったであろう2人。彼らにとって、この1年はどんな1年だったのだろうか? またブレイクするまでの道のりとは? M-1グランプリ決勝当日秘話にも迫る。

写真左(緑のTシャツ)が福田薫、右が益子卓郎

――子どものころは、どんなお子さんでしたか?

福田 落ち着きのない子っていわれてましたね。幼稚園でも小学校でも、通信簿には「せかせかしていて、集中力がない」とか「テストの問題を最後まで読まずに回答している」とか書かれて。自覚はないんですけれど、いまだにまわりからは落ち着きがないっていわれますね。

益子 僕は対照的に静かなおとなしい子どもでした。にこにこしてかわいいねって、よくいわれていました。

――子ども時代の思い出深いエピソードを教えてください。

福田 迷子になることが多かったですね。デパートなんかに行っても、すぐ迷子になって、迷子センターで親を呼び出してもらって、「またあんたいなくなったね」っていわれてました。あと、太ってましたね。給食なんかも、いつもおかわりをしていました。それから、第一印象ではまじめに見られていて、班長なんかも任せられていました。だんだんバレてきて、ボロが出てくるんですけど、第一印象だけはなんかいいみたいで。

益子 小学生のときは野球をやっていました。外でよく遊んでいましたね。近所の子たちとくわがたを採りに行ったり、スズメバチを殺したり、へびをつかまえたり。あと学級委員長もやっていたし、相撲部や陸上部、バスケット、野球、いろんな部活動に参加していましたね。(次ページへ続く)


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「ごめんねごめんね~」U字工事登場!【前編】 遊びで始めた漫才、本気のスイッチが入ったきっかけは?
M-1グランプリ決勝進出でブレイク! ごめんねごめんね~U字工事登場!

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著者プロフィール
大川内 麻里(オオカワウチ マリ)

1977年、福岡県生まれ。出版社勤務、編集プロダクション起業を経て、フリーランスのライター/編集者。

経営者の父を持つことから、幼いころよりビジネス書に慣れ親しみ、現在は年300冊以上を読む。『夢を実現した わたしの仕事 わたしの方法』(ダイヤモンド社)では、キャリア女性50人をインタビューし、働き方・生き方に迫った。

ビジネスバイブル3冊は『仕事で本当に大切にしたいこと』大竹美喜、『戦わない経営』浜口隆則(ともにかんき出版)、『プロフェッショナルの条件』P.F.ドラッカー(ダイヤモンド社)。

オフィシャルブログ http://okawauchimari.net/






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