トヨタを去り、IT業界へ転職 プラドラの著者のその後に迫る!
生まれつきの障害を抱え、友だちもできず、成績はビリから1番目。親からも勘当され、男は途方に暮れる。そして、大好きなクルマへの思いだけを武器に、世間に立ち向かっていき、やがてトヨタでNO.1メカニックの座に輝く。
その半生をまとめた『人生で大切なことはすべてプラスドライバーが教えてくれた』がベストセラーとなり、注目を集める原マサヒコさん。彼は現在、IT系企業に勤めているという。
なぜ、自動車業界でトップになりながらも、IT業界への転職を果たしたのだろうか? 異業種からIT業界に転職するためのテクニックとは? また原さんから見たIT業界の魅力とは? そのキャリアを追った。
コンプレックスの塊だった高校時代。トヨタでも同期に差をつけられて
――高校時代は、どのように過ごしていたんですか?

友だちもできず、勉強もできず、進学校だったので、まわりはみんな大学に進学するなかで、ずっとコンプレックスを抱えていました。学校もおもしろくなかったのであまり行かず、クルマの免許をとって、毎日クルマをいじったりしてましたね。悪いスパイラルに入っていたと思います。そうこうするうちに、母親から勘当をされ、高校生なのに、1人暮らしをするはめになりました。そこで、追い込まれたんですね。それで、自分にはクルマしかない、クルマの道に進むしかないと思いました。
――高校卒業後は?
横浜の小さな自動車整備士の専門学校に入りました。本当は、トヨタの専門学校に行きたかったのですが、いかんせん、高校の出席日数が足りなくて……。トヨタの専門学校は、1,000人規模なんですが、僕が行ったのは、40人くらいの専門学校でしたね。
――専門学校を卒業してからは、念願のトヨタにメカニックとして就職されます。
僕の行っていた専門学校では、トヨタの枠が4名分ありました。それで、専門学校の卒業試験で4番目で、そのトヨタ枠になんとか入ることができたんですね。当時は、就職難の時代ではなく、割と入りやすかったんです。ひとつの営業所に、新入社員がだいたい2名くらい配属になるくらいで。
僕が配属になった営業所も、新人は僕も含めて2名だったんですが、そのもうひとりの同期が、トヨタの専門学校を出ていたんですね。それで、いきなり差をつけられてしまった。たとえば、仕事でも、僕にやらせるよりも、そいつにやらせたほうが早いわけです。それで、仕事がまわってこない。余計に差は開いていく一方。ずっと焦っていましたね。(次ページへ続く)














