男として生まれた私。それでもかなった夢

はるな愛。タレントであり、歌手であり、バーやお好み焼き、鉄板焼きのお店を数店舗経営する実業家でもある。
彼女は男性「大西賢示」としてこの世に生を受けた。しかし物心ついたころから、彼女は女性の心を持っていた。幼い心は、どれほど葛藤し、苦悩しただろうか。
しかし幾多の困難を乗り越え、松浦亜弥のライブ音源をまったく声を出さずまねる「エアあやや」で大ブレイク。そして、3歳のころからの夢だった「アイドル歌手になりたい」という夢を30余年のときを経て手にする。
男、女。そんな根源的なアイデンティティの不和にさらされながら、彼女が夢を実現できたのはなぜか? また経営者としても成功している秘訣とは?
つと涙をこぼしながら語ってくれた彼女の半生に触れて、読者もぜひ「自分らしく生きる」ということについて考えてみてほしい。
自分と向き合い、現実を受け止めたら、強みと出合えた
――はるなさんが10代後半~20代前半のころにニューハーフブームがありましたね。
そうですね、10年周期くらいでそういうブームってきているんですが、当時、2時間特番でニューハーフ50人を集めた番組があったりして。そのとき私は18歳だったんですが、その番組出演がきっかけになって、ちょくちょくテレビの仕事が増えていきましたね。
――当時の戦略は?
「かわいい路線」を打ち出すことでした。ニューハーフの人たちって、みんなおもしろくて、それでいて美しくて妖艶で、夜のゴージャズな世界が似合うというカラーだったんですね。
でも私が子どものころから憧れてきた女の子っていうのは、女の子らしく元気でかわいくて、みたいな子。だけれど、番組に出ている50人を見渡しても、そういう人っていないな、いると目立つな、と。やっぱりきれいだと飛び抜けて目立ちますが、私はそんなにきれいでもないし、もっときれいな人はいっぱいいる。目立つには誰もやっていないかわいい系だなと。それで、自分はその個性でいこうと思いました。
それが当たって、レギュラー番組をもらえたりしたんです。
――そういった自分の強みを打ち出すコツは、どうやって学んだのでしょうか?
そういうのが自然と身についたのは、男として生まれて、こうやって生きるという生き方を見つけたときからです。
やはり現実を受け止めなければならないんです、人は。自分を見て、向き合って、自分の現状や状態をしっかり見て、じゃあ大西賢示、男として生まれた。どうやって生きていこう。レースクィーンや本物のアイドルを目指すのは無理。それでも女の子のようにアイドルのまねごとができる場所はどこかといったら、ニューハーフのお店に行き着きました。
自分自身をしっかり見て、そのなかでもいきいきと自分らしく生きられるところはどこかを考えて、それを行動に移してきたことが自分の強みになりましたね。(次ページへ続く)














