昭和20年代の転職「収入が少ないから」
「転職」というキーワードで検索すると、一番古かった文献は総理府統計局の『労働力資料一 生活状態及び転職希望について』でした。刊行は1949年(昭和24年)12月。わずか16ページの文献ですが、なかなか興味深いことも書いています。
就業者数は3,691万人。このうち転職希望者は218万人で全体の5.9%を占めています。理由としては「今の仕事の収入が少いから」(原文ママ)が38.5%、「今の仕事が一時的だから」が35.3%、この2つが圧倒的に多いです。
収入の少なさが理由とするのは今も昔も変わりませんね。「一時的」は戦後の混乱状態で雇用がきちんと整備されていなかった、あるいは、家業や食料探しなど他にやることが多かったことなどが原因と考えられます。
昭和40年代の転職「年功を売る時代から能力を売る時代に移る」?
1970年(昭和45年)にはその名も『転職チャンス 脱サラリーマンを狙うあなたへ』(双葉新書)が刊行されています。斎藤栄三郎という著者は元新聞記者のようです。
「日本のサラリーマンも年功を売る時代から能力を売る時代に移るのは目に見えている。本格的な能力主義が来れば、人情論も通用しにくい」と断じているあたりは、今の転職本にも書いてありそうです。もっとも、この言が現実になるのはそれから30年以上先のことですが。
学者、評論家、コンサルタントなど転職後の職業は今と変わらない部分もありますし、そうかと思えば、今からすればどうかという職業も少なからず並んでいます(※職業の後ろの文章は引用。原文ママ)。
- 画商…美術品に購買力が向いてきた。そこで画商が面白い。(中略)そういうところ(石渡注:財界人などが設立した美術館のこと)に納入するといいお得意先であるから儲かる。
- デザイナー…商業デザイナーの需要は無限である。(中略)商業美術の展覧会で入賞でもすれば仕事はドシドシ入ってくるし、普通のサラリーマンの収入より遥かに多くのカネに恵まれる。
- 中小企業社長…私は四十歳定年は面白いと思うし、実行したらいいと思う。そこで会社をやめて独立するのがいい。四十歳までに商売のコツを覚えておいて、それから先にその知識を基礎にして独立するのが最善の道だと思う。
簡単に転職を煽っておきながら、デザイナーなら「展覧会で入賞でもすれば」ですからいい加減なこと、この上ありません。ただ、当時は高度成長期の真っ只中ですから、中小企業の社長というのは大きな選択肢だったのでしょう。
希望転職に応募 解放感から熱海に出かけて飲んでしまう
1972年(昭和42年)には『転職成功法』(日本経済新聞社)も刊行されています。著者は今井正明。ケンブリッジ・リサーチ研究所という人材紹介会社を設立した人です。なお、同社は現存します。
刊行の1972年は前年のニクソン・ショックでドルと金の交換が停止、日本円の好感レートは1ドル360円から308円に切り上げとなります。この影響で輸出産業は大打撃を受け、一気に不況ムードに変わった時期でした。
同書にも「不況ムードの中の転職」という項目がありました。この中では「一応一生つとめあげるつもりで入った会社」の社員が希望退職の際、すぐに手を挙げ、解放感から「熱海に出かけて行って飲めや歌えやの祝宴をはった」という事例が紹介されています。
祝宴の場所が熱海というあたりはさすがに昭和40年代ですが、この頃からリストラをすると、残留して欲しい中堅幹部や優秀な社員ほど辞めてしまう、人材流出型リストラがあったことを示しています。
転職に関するアンケートも掲載されていて、これによると、転職の動機は多い順に、「会社の営業方針あるいは経営者に対する不信感」「自己の能力開発」「企業の斜陽化または倒産」「給与が少ない」「社内の人間関係が悪い」でした(数値は不明)。ここは今と違うようですね。
転職をした結果、どのように変化があったかについては以下のとおりです。(次ページへ続く)
- 精神状態…よくなった55%、変わらない33%、悪くなった12%
- 経済状態…よくなった41%、変わらない40%、悪くなった19%
- 仕事内容…よくなった55%、変わらない20%、悪くなった25%












