お笑い芸人は、芸のとおりちゃらんぽらん? いえいえ、苦労しています。話題のお笑い芸人が、挫折、苦悩、将来への不安など、自らの半生を語ります。今回は、「アイドル目指して12(?)年」ゆってぃの登場です。【バックナンバーはこちら】



人気芸人・ゆってぃの登場だ、それワカチコワカチコ~♪

♪ちっちゃいこと~は気にするな、それワカチコワカチコ~♪
このフレーズで、一躍人気者となったゆってぃ。しかし彼も売れるまでは、13年ものあいだ、茨の道を歩んできていた。いまもっとも旬な芸人、ゆってぃの歩んできた半生、芸人としての道のりを追った。

――小学校、中学校くらいのころは、どんな子どもでしたか?

 目立ちたがり屋でしたね。クラスのリーダーというわけではなかったのですが、学芸会なんかあるとかならず主役をやりたがるような。

 小学校のころはサッカーもやってましたね。中学に入ると野球をはじめました。あまのじゃくなので、サッカーをやっていたころは野球をやりたくて、野球をやっていたころはサッカーをやりたくて。

――そのころの夢は?

 テレビ番組は、とんねるずさんが出ていると見ていて、漠然ととんねるずさんみたいになりたいなって思っていました。それが芸人さんというものなのか、タレントさんなのかはわからなかったんですけれど、歌を歌っていて、コントもやっていて、なんとなくこんな人になりたいなって思っていましたね。

――中学を卒業してからは?

 高校は堀越学園の普通科に行きました。堀越学園だからといって、芸能界を意識していたということは、特にありません。単純に偏差値の問題で、堀越学園しか行くところがなかったんです。高校を卒業するときもですが、僕は洋服屋になりたかったので。

――お笑いをはじめたきっかけは?

 高校のときに、僕、単位が足りなかったんですね。のちに相方になる友だちも単位が足りなくて。それで、先生から「学園祭でなにか出し物でもやったら単位あげるよ」っていわれて、その友だちと2人でダウンタウンさんみたいに漫才をやろうよってなったんです。相方はそれが楽しかったみたいで、卒業のときに「コンビ組んで、お笑いややろうよ」っていわれて、誘われるまま、人力舎のお笑い養成所であるスクールJCAに入ったんです。僕としては専門学校に行くようなノリでしたね。

――なぜスクールJCAを選んだのですか?

 まずスクールに入る前に、ワタナベエンターテインメントさんのネタ見せに行ったんですが、そこでネプチューンさんがネタ見せをしていて。めっちゃくちゃおもしろくて、これは勝てねぇなって。それで基礎を学ばなくちゃいけないんじゃないかってことで、養成所に行くことにしたんですね。JCAを探してきたのは相方でした。そのコンビが、はじめて組んだコンビ、「マンゴルゴッチ」だったんです。(次ページへ続く)


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INDEX
「お笑い界のスーパーアイドル」ゆってぃ登場【前編】 先輩芸人のムチャぶりでキャラ成立!それまでの苦節を語る
人気芸人・ゆってぃの登場だ、それワカチコワカチコ~♪

コンビ、トリオを経て、ピン芸人「とーどーゆーた」になる

まわりに作り上げたもらったキャラ「ゆってぃ」




著者プロフィール
大川内 麻里(オオカワウチ マリ)

1977年、福岡県生まれ。出版社勤務、編集プロダクション起業を経て、フリーランスのライター/編集者。

経営者の父を持つことから、幼いころよりビジネス書に慣れ親しみ、現在は年300冊以上を読む。『夢を実現した わたしの仕事 わたしの方法』(ダイヤモンド社)では、キャリア女性50人をインタビューし、働き方・生き方に迫った。

ビジネスバイブル3冊は『仕事で本当に大切にしたいこと』大竹美喜、『戦わない経営』浜口隆則(ともにかんき出版)、『プロフェッショナルの条件』P.F.ドラッカー(ダイヤモンド社)。

オフィシャルブログ http://okawauchimari.net/



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